貂飛トンネルの存在意義

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あなたは、貂飛トンネルというトンネルをご存じだろうか。1990年10月に完成してから30年余り、どこにも通じていない交通量の割に立派なトンネル。いわゆる未成道。

私は貂飛トンネルが存在する地、富山の人間で家族から話を聞きこのトンネルを知った。おそらく3度ほど訪れたがいつ来ようと、相も変わらず私のほかに通行する人も車もない。

大体、山奥にあるトンネルなど2車線(およそ7m)の幅すらない、1.5車線道路がほとんどだが、このトンネルは立地に見合わぬ幅7mの二車線である。そういう珍しさ、奇妙さも貂飛の魅力のうちの一つだ。実はこのトンネルがある道は、幻の黒川ダムの底に沈む道の代わりとして作られたから立派に作られているわけであるが。

さて、私はこのトンネルを非常に気に入っているので語ろうと思えばいくらでも語れてしまうが、このままでは止まらなくなるからさっさと本題に移ろう。このトンネルの存在意義についてだ。そんなもの、よく考えなくたって、幻となったダム計画のための道とそのためのトンネル、バブルの遺産と考えれば二度と利用されることなく朽ちるだけだろうから、「なし」と言えるだろう。

しかし、少し待ってほしい。それではあまりにも可哀そうではないか。このトンネル自身が、それを作った人々が。なんたることかこの虚しさ。確かにこの世には存在意義のないであろうものなど数多くある。

例えば、私がソヴィエト連邦共産党の真似事として作った見てくれの悪い党員バッジなど存在意義のないものの代表格だ。私自身がソヴィエト連邦にも共産主義にも飽きてしまい、引き出しの中で眠っているからなおのことだ。だがしかし、私がそのバッジを作った――ソヴィエト連邦の歴史などを確かに好きだった――時は、本当に作っているだけで楽しかったと思う。今になってはなにが楽しかったかはわからないが私の思い出にはなったので生まれてきた意義ならある。

このように、貂飛トンネルにも何か人間と同じように生まれてきた意義、そしてできればこれからも存在する意義がないかと考えた。そこで、一つ私は思い立ったのである。

君たちは貂飛とは何か知っているか?

みなさんは、貂飛トンネルの名称の由来を知っているだろうか。貂飛という言葉は辞書にはないが日本語とは便利なもので(中国語もだが)、漢字のおかげで文字を見るだけである程度の意味が予測できる。
「貂が飛ぶ」
おそらく推測するならこうだろう。だがしかし、貂が飛ぶとはなんだ。確かに貂は木の上で生活し、木から木へとジャンプする生き物なのだから違和感のない言葉だ。問題は、この言葉がなぜトンネルの名前になり、そして由来は何なのかということ。

普通トンネルの名前と言ったら、地名由来の名前だったり長野県にある三本松トンネルのようにトンネル建設地の近くにあったものや地域住民に親しまれている名前ではなかろうか。貂飛トンネルもそうなのだろうか?こうとなったら居ても立っても居られない。私はこの謎を解明すべく、富山市立図書館の蔵書を読み漁ることとなった。

まずはベタな地名から。このあたりの地理院地図とにらめっこをしたが、貂飛という文字はない。それは分かっていた。だからすぐに角川日本地名大辞典を使い、周辺地域の小字まで調べた。それでもない。おそらくこれはハズレだなと判断して、別の方向性から探すことにした。

そして次は貂の生態を調べた。実は私はあまり動物に詳しくなく、貂が木の上で生活し、木から木へと飛び移ることはここで知った。ほう、なるほどとは思ったがこの言葉の出どころは分からないではないか。身近な人たちに聞いても、「文字通り、トンネル工事中に貂が飛んでいたからそう名付けられたんやろ。なんでそんなことが気になるんけ?」としか返されない。しかしそれではなぜ地名由来のベタな名前を付けないのか?という疑問が残る。だから私は明確な根拠を見つけるまで諦めるつもりはなかった。

次は妖怪としての貂を調べることにした。三重県伊賀地方では「狐七化け、狸八化け、貂の九化け」と言われており、貂は狐や狸より化ける力があるそうだ。そして石川県や秋田県では貂が横切ると縁起が悪いとされているらしい。あまり参考にはならなさそうだ。一瞬、貂飛トンネルがある道の向こう岸ににあるダムに沈む予定だった道がガードレールもないような危険地帯であるために、道に気をつけろという意味で縁起の悪い妖怪としての貂という名前を付けたような気もしたがすっきりしないため却下した。

ここまで来てないとなると、次は何を調べればいいのだろうかと思い、旧大山町(貂飛トンネルがある場所の旧町名、現在は富山市)の町史や富山県の民間伝承を当たった。だが何一つとして手掛かりがない。こうして数か月の時間が過ぎ私は半ば諦めかけていた。

しかし、調査からおよそ1年が過ぎたある日、何気なく本棚の下の方を見ると、大山町の方たちが地域の伝統、生活、歴史などについてまとめた本「ふるさと再発見」を見つけた。このころ、もう調査のことは忘れ気味だったが、もともと地域の伝統などを知るのは好きなので手に取って読んでみた。すると、第四巻の最初の方に突然探し求めていた答えは現れた。以下、引用である。

てん(貂)飛びの磨崖仏について

 次図に示すように、石淵と、上瀬戸の間に位置するゴルジュ帯(両岸が切り立った岸壁に挟まれた狭い谷筋)で、長さ約三百メートル川幅が五~十メートル位で、その中間に長い瀞(とろ・・淀み)が二ヶ所あり、この瀞部は泳がねば遡行できない。
 ここは、昼でも暗く、岩肌は湿気で黒く光って、頭上に不気味に押し迫ってくるような感じの場所で、現在は、両岸の木が生い茂って、猿が枝伝いに往来している。かつては、貂が飛び越えたとのことで、この名がついたと言われている。

ふるさと再発見4

著作権の問題があるだろうから図を掲載してよいかどうかわからないので、見たい人は富山市立図書館、もしくはその分館へ行っていただきたい。

ついに私は貂飛の由来を見つけてしまった。そうかやはり、きっちりとした由来があるものなのだ。言葉とは理由あって生み出されるものなのだと軽く感動した。そして、この話を書いた方が、あの黒川ダムの地権者連絡協議会の事務局長の方であった。(プライバシーの問題があるため、名前は書かないでおく)となれば、貂飛トンネルは石淵と上瀬戸の間に位置するため、ちょうど貂飛と呼ばれる場所にあるのだからこれが由来なのだろう。

さてさて、本題は貂飛トンネルに生まれてきた意義、できればこれからも存在する意義を見出したいということだった。「君たちは貂飛とは何か知っているか?」と書いたが、どれほどの人がこの情報を知っていただろうか。現地の住民は知っていただろうが、貂飛トンネルへと足を運んだ方でこの情報をブログなどにつづっていた方は見たことがない。

しかしここ最近、貂飛トンネルを訪れる人が増えている。試しにYouTubeで検索してみたらわかるだろう。インターネットの急速な発展によって「貂飛」という辞書にも載らぬ単語を知っている人が増えた。

貂飛、あるいは貂飛びとは石淵と上瀬戸の間の瀞と淵が連続し、貂が往来していた場所のことだ。していたということは過去形だ。私自身あのあたりで貂を見たことはない。ニホンカモシカしか見たことが無いし、目撃情報においても猿や熊ばかりだ。つまりあの場所に貂はもういないのであろう。

言葉というものは、生み出されては変化したり忘れ去られたりしていく。かつてアイヌの人々が使った言葉を覚えている人はどれほどいるだろうか?今の時代、古典の授業で習ったような日本語で喋る人間がいるだろうか?そう、言葉は消えていく。使われなくなった言葉は消えてしまう。もう既に存在しない事象や場所を指す言葉などは特に、口にする必要は特になく、覚えている人間に子孫がいなければ伝えられることもない。伝えられたところで覚えていないかもしれない。

言葉は、最後に知っている人が死んでしまえばその瞬間、その言葉も死ぬ。とくに正式に文字にもなっていない記録のない言葉など人間よりも跡かたなく、存在した形跡を残さず消えゆくのだ。アイヌの言葉には文字がない。しかし、その言葉を残そうとした人がいるから今もなんとか記録があるのだ。

貂飛もトンネルの名前にならなければ、あの「ふるさと再発見」ぐらいにしか残されず、その本でさえ、物好きやその地域の人ぐらいしか手に取らず、ここまで言葉が知られることはなかった。失われる言葉のはずだった。

だが、トンネルという実体のある建造物に「貂飛」という文字は刻まれ、多くの人に認識され今も生きている。たとえトンネルが崩れたとして、インターネット上には記録が残っている。貂飛トンネルが生まれたおかげで、「貂飛」という言葉は今も生きていて、これからも「貂飛」を生かす役目がある。

そう、貂飛トンネルはトンネルとしての本来の役目は果たせなかったが、彼は石碑となったのだ。生まれてきた意義も、これから存在する意義もきちんとあるのだ。

そしてこの名前を付けた方は、地域でこの場所は貂飛びと呼ばれていたからそう名付けただけで、私のように言葉を後世に残そうと考えたわけではないのかもしれない。だが、その方がこのような消えゆくであろう運命を持っていた「貂飛」をトンネルの名前につけてくださったおかげで、一つの言葉の寿命が延び、この可哀そうなトンネルに存在意義が生まれたのだ。本当に感謝してもしきれない。

どこにいらっしゃるのか、生きていらっしゃるのかもわからないが、せめて私だけでも感謝がしたい。名付け親の方やこのトンネルを掘るのに携わったすべての人たちに。意味があったと伝えたい。すごく小さなことかもしれないけれど、一つの言葉を生かしたのだと。

そう考えれば我々は言葉という尊い魂を抱えながら生きているのだなと思う。ここ数十年のマスメディアの発達によって廃れてきている方言は60年経てば絶滅の危機に瀕しているかもしれない。だから私は生きて富山弁を残してかんといかんちゃ!

END.

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