ポタ…ポタ。暗い暗い夜の中、ひんやりとしたコンクリートに雫が垂れた。止まらない、音。その音で私は我に返った。ここはどうやら錆びた橋の上。あの、深淵のプラザに続く橋の上。その橋は暗くて見えにくかったが血がべっとりと染みていた。
「今日もいけなかったな」
私は、深淵のプラザに歓迎されていないらしい。橋の前にあるトンネルまではクリアできるのに。なぜだろう。もうここに来るのは10回目か?20回目か?いい加減こんな無駄なこと諦めもしたくなる。こんなふうに橋の上で無駄な血を流していることだってただの気休め、対処療法にしかならない薬だ。でも私は諦めるためにここにきている。未来を生きることを諦めるためにここにきている。別に諦める場所にこだわらなくたって私にはもうその先なんてないが、私はロマンチストなのだ。深淵のプラザに溺れて、身も心も溶かされ細切れにされてしまいたい。そんな諦めきれないくだらない思いのためにピリオドの一つも打てずにいるのだった。
「もう、やめだ。帰ろう。きっともっと美しくて棘のあるリアルに触れればプラザはきっと私を呼んでくれる。」
私は今日をもって深淵のプラザへの旅立ちを中止した。プラザにもリアルにも誰にも見てもらえない。もういい。絶望はもう、いい。とっくの昔に堰を切ったはずの荒んだ心がチクチク痛む。ああ、でもこれだ。この感覚だ。澄み切っているぞ。私は、存在しているぞ。今ここに。痛みがリアルの輪郭を描いてくれた。皮肉にも私は死に最も近い深淵にどうしようもなく生かされている。この感覚を抱いて私は家に帰った。家とは呼べない家だったがそこは形は家だった。靴を脱いで、真っ先にキッチンに向かう。冷蔵庫の中にあった麦茶をコップに入れ、一気に飲み干した。喉は潤っても心は乾きつつあった。リアルはファンタジーになりつつある。そんななかで私はペットのネズミを連れてきた。ネズミは暴れた。でもどうでもよかった。ネズミに水をかけた。ネズミは暴れた。でもどうでもよかった。ネズミに橋の上で私の腕を切りつけたナイフを少しだけ刺した。ネズミは暴れた。でもどうでもよかった。ネズミにミミズを与えた。ネズミはミミズを食べた。そして食べ終わった瞬間、ネズミの腹をナイフで裂いた。ネズミは「キィーキィー」と声をあげながら暴れて私の手を噛み、絶命した。私の手の中でネズミは諦めさせられた。私は満足した。外に出てネズミの墓を建てた。そういうファンタジーだった。ネズミは私を呼ばないと知っているのにファンタジーにすがった。リアリティのない美しく、それでいて棘のあるどす黒いリアルに浸かり、常に生、新鮮さを求めている私はリアリティの中毒者だ。私は流石に寒さを感じて家に入ったとたん痛みを感じた。
「痛いなあ。痛いなあ。」
罵詈雑言が響く。
「お前!!!キッチンが血だらけだ。もう裏切らないって言ったよな!それにこんな夜になにをし」
「私は、ネズミを殺した。私は諦めたい。」
「いい加減にしろぉぉぉぉぉいいいいいいい!!!!!!!ニシンの次はネズミか!!!!この野郎!」
私の顔の横にはネズミの血で汚れた包丁が突き刺さっていた。アイツは消えていた。と思うと次は甲高い耳障りな声で
「うそつき」
と言われた。私は冷静に、包丁をとり、血をふき取り、消毒した。ネズミに噛まれたケガもさっと止血し、包帯を巻こうとしたとき。
「あ。」
私の腕はナイフの傷がたくさん刻まれてぐちゃぐちゃだった。ああ。リアルだな。リアリティのあるリアルが刺さってくれるな私に。心地よいな。そんな夢見心地で私は服を着替えて眠る支度をした。そんな午前0時。
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