あれだけ変わりたかったのに。変わりたかったのに。もっと話せる日々を安寧を求めていたのに。なんにもないことがこれほどに辛いとは思わなかったのです。変わり映えのない日常に狂わされて起き上がれなくなるなんて思わなかったのです。私は好かれても嫌われてもいない。存在しないのです。いてもいなくても変わらないのです。声が空気の波に掻き消されて姿は霧に隠されて心には不必要なアクリルパネルがある。1人が大好きだったのに、構われたり殴られたりするのは嫌いだったはずなのに。もうとっくの昔に私は壊されてしまった。苦痛が恋しくて苦痛になるように壊されてしまった。そう。痛みは孤独を紛らわします。忌まわしい声も暴力も絶え間なく流れる馬鹿げた噂ですら、飲む瞬間は苦しいけれど禁断症状のように歪んだ直接的つながりを体が求めてしまう。1番最初が1番いいわけでも今がいいわけでもなく。どこにいても誰といてもその場凌ぎで笑っても孤独に苛まれ、八方塞がりの状態です。孤独は自由であり、自由は束縛。安寧や平穏は脆く、悲劇的な映画のワンシーンへと変わります。連帯の対価として自由を捧げ、束縛を受け入れ、また自由を乞い、孤独に喘ぎながら自由と束縛を手にしたところ、現れたのは虚無でした。足せば足すほど足りなくなっていくのです。足りすぎていくほど、空虚で満たされて足らなくなるのです。しかし、変わってしまい、手に入れてしまった私、今の私でないと、この後悔と一時的結末を理解し、噛み締め、苦痛を尊ぶことなど不可能なのです。すべて、決められたことが予定通りに進んで、回っていくようなこの物語を止めたいです。でも、苦痛はいつの間にか麻薬のように追いかけてくるのです。逃げても逃げても。やり直そうと試みた瞬間に全ては0に帰り、やり直し。何度も何度も回り回る。人間がいつも同じなわけないですけど、こんなに不安定な放射性物質のような存在であっていいのでしょうか。苦痛と嘘を重ねて、何度も繰り返した現実はもはや非現実で、まるで自分をどこか外から見ているかのような。そんな気分です。ここまで考えに考えて結局最後、戻ってしまうのは苦痛の沼でした。ただ溺れているだけでした。
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