朝になるからと…

階段を上れば上るほど、あなたは離れて行ってしまう。口を開けば開くほど、分からなくなっていく。朝が暗いと感じて、雨に濡れるのが懐かしいと感じるのもあなたとは共有できないことだ。プツプツと街灯が消えかけ、電子レンジも微睡む夜明けの空は美しい。寒く、明かりのない、静寂だけが広がる世界のドアを開けるのは勇気が必要だが、とても心地よい。誰かがいるけど誰もいない、誰にも邪魔されない一人だけの世界を満喫するのは美味しいものを食べるより、誰かと遊ぶより、妄想に浸るより、楽しいのだ。しかし、そのような時間は1時間足らずで終わる。1日で1番輝かしく、心地よい時間はたったのこれだけ。それに、ときめく瞬間は瞬時に切り替わり長く満喫することはできない。これが、諸行無常というやつですか。そして、この時間が終われば、人々は目覚めるので私は落ち着いてはいられなくなる。電子レンジはお目覚めか。ならば、もう一度布団に戻ろう。対して眠ることはできないのだが、とりあえず、雑踏に埋もれないように。私が何者なのかわからなくなってしまわないように。それだけを考えて深く、自分の世界に潜り込む。朝の暗さは陰気だが、そんなものに負けたくはない。曇天の朝ならそれは尚更だ。しかし、思ったのだが、この様子は私の人間関係の続き方なんかにそっくりではないだろうか。誰かとの楽しい時間は変化が激しく一瞬で終わる。そのあとは気まずくなるか、別れるか。夜明けから朝のようで人間関係の儚さを感じる。私が本心で話せば皆離れていく。他人から要求される人間像というのは基本的に上辺だけのイメージで、限りなく美化されいるか醜化されているかのどちらかだ。皆は自分が思う私と私が思う私とのギャップによって離れていってしまう。周囲の大人から要求される私はここまで大人びていないし、主張はしないし、難しい話などしない。もちろん、本心を曝け出せばいいという話ではないが、だからといって自分の本領が発揮できず、いつまでも子供のように扱われ、私には思想などないと考えられるのは不服である。私が、階段を上がっていくほどに足りない頭に世間の感情やマイナーな知識が注がれていくのだが、そのレベルが他人と比べて桁違いだったというわけだ。自分の知識というのは多少マイナーなことはあっても成長するにつれ、知っていて当たり前であり、それがいないと礼儀も弁えることはできないと考えていた。しかし、世間のレベルというのはもっと低くて、知らないと人に失礼をしてしまうようなことでも知っている方が驚かれる程度だった。ましてや、子供がそれを理解して人に話すというのだから、周囲は不思議で仕方がないことだろう。私が、当たり前のようにこだわりというか、自分が作ったストーリーの設定を語ったのだが、根本から理解されず、やっと受け入れてもらっても本質は一切理解しておらず、歪曲して受け取られている。今までもそうで、これからもずっとそうだと甘受していくつもりだが、人間は距離的孤独は満喫できても、精神的には救いが必要なようで。私が、不思議ちゃんとして通されて話が表向きには成立したかのように見せかけられて、相手には本質など分かってもらえず、心が通じていない状態が続くのは無意識に苦痛が蓄積していってしまう。あなたは私に表面的に歩み寄ろうとしている。あなたが勝手につけた仮面をつけた理想の私に。だが、仮面のない私。本来の私をあなたの価値観や考え方では理解することは不可能に近いし、私もあなたと分かり合えるなどとは微塵も思っていない。これで噛み合わないまま離れていくことができればいい話なのに。自分で作りにいったプライベートな人間関係以外はなかなか切れないわけで。どちらとも悪くはないのに波長が合わないから互いを理解することができないまま。こんな状況を打破するには、私が折れるしかないのだろうか。なかなか、日が沈んでくれないようで。

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