ここにいる自分は何者なんだ。

ふと思ったのだ。他者の考えを学び自分に取り込んで、自分の思想としていくという過程で。今の自分の思想は他人の思想を集めたモノだ。この世の誰か、知らない誰かの思想だ。そしてまた、その誰かの思想というのも、他の誰かの思想を集めた思想だ。じゃあ、自分はどこにいるどいつでいつを生きている誰なんだ。自分に自我はあるのだろうか。自分は自分だし、他者とは別の個体であり、その物理的境界線は絶対的なモノで、自分が全くの他人に変わることなどできない。しかし、自分の思考パターンや思想などに関しては他者との境界線は曖昧で、自分は自分。他人は他人。自分は他人。他人は自分。と、なるのだ。つまり、自分は物理的にはタンパク質の塊として世の中に存在しているが、精神的には自分などこの世に存在せず、全員同じなんじゃないんだろうか。自我はなく、自分が自分だと意識している存在は実は他人であり、その他人も存在しない。そういう状態なんじゃないんだろうか。そして、他人は私の思考パターンや思想を私という人間と認識して処理する。全てが仮で繋ぎ止められた世界で、他人から認識されることによって自分という存在しない存在を保とうとしているのではないのだろうか。じゃあこの世には考える力を持つ生命は存在しているのだろうか。実はこの世に生死という概念も個人という概念も存在せず、私たちは無限に永遠であり、存在しない状態で形だけ存在し続けるんだ。そう、思ったのでした。

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