旅(1

「ちょっと、旅行に行ってくるよ。行先は分かんないけど、オホーツク海にダイブしてカムチャツカ半島を経由するつもり。後、カリノフカで殺虫剤を飲んでレナ川に照らされた銀行強盗をするロマンチストの気分になりたいな。それじゃあ。」
彼は突然メモ書きを残し、アパートを後にした。あいつはたまにそうやって失踪し、気がつけば帰ってくる男であった。しかし、私は殺虫剤を飲み、過去を懐かしむように銀行強盗をするのは嫌いだ。まるで、「ソヴィエトはまだあるんですか?」と聞いてきたあの台湾人のようではないか。私に過去を待っている時間はない。1991年がひっくり返ったパラレルワールドの少年は鋼鉄の男を待ち望んでいるが、彼は今となっては酸化銅。粗大ゴミに過ぎない存在であった。それなのに、あいつも台湾人も「ソヴィエトは存在する」という懐古主義の立場をとる。ソヴィエトなどは所詮、全人類が共有する巨大な虚像の連合に過ぎない。概念を愛する彼らはよく分からない。しかし、私もダヴィードヴィチに対して激しく憎悪している感情だけは理解できた。10月26日にクロプィウヌィーツィクィイの村からニョキニョキ生えてきやがった金剛石はテロリストの顔をしていた。そんな彼の嫌いなところといえばフワフワしているところであった。フワフワとしていなければピッケルなんかで頭を抉られるはずがない。これだけは話の通じないあいつや台湾人と唯一分かり合える価値観であった。しかしながら、やはりソヴィエトは存在しないのだという認識は変わらない。ノンアルコールウォッカを飲みつつ、色とりどりの赤を見ている少年に関しては理解不能であり、蕩けた肝臓を吐き出すかのような思いであった。そんな中、ふと窓を見るとプロパガンダの雨が降っていた。そうか、殺虫剤を言論統制してやろうと考える政治将校の思惑の通りに物事は進むのだな。国語辞典を司る将校よ。資本主義の一歩先に突き進みたまえ。

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