感謝と…

私はかつて、平沢進氏のファン…というより信者であった。中学2年生で「Big Brother」に出会い、独特な世界観や意味深な歌詞に魅了された。

当時は、学校生活がうまくいかず、自分という人間は他者より至らない点が多く、普通になれないのだと思い心を病んでいた。そのため、人類愛や人間社会の問題を訴える歌に数年間ずっと支えられてきたのだ。

その上、彼のツイートやインタビューなどから自分の心や社会と向き合い悩み抜いたであろう今までを知り、達観した自他を分けた思想ブレない精神を確かにそこに感じ、私はまさしく神のように彼を崇めていたのだ。彼の歌詞やツイートの一見意味不明な含みのある言葉。それを神からの啓示とでも思っていた。彼のツイートには毎回賛同のリプライを送っていた。

ではなぜ、そこまで崇拝に近い感情を向けていたにも関わらずそれは過去の話となってしまったのか。理由は元ファンや現ファンの方ならお分かりだろうが陰謀論の件である。

詳しい話は割愛するが、陳腐な陰謀論に踊らされ、戦争を続けるロシアを肯定するようなツイートなどを何度かしていた。昔から陰謀論者的なところはあったのかもしれないが、彼の精神は徹底して、人類への慈愛や戦争反対であったはずだ。

そのためにテレビなどのメディアから離れた過去がありながら、自分が過去に否定した人間たちと同じ主張をするのかと。極め付きには、否定意見を述べる者を探し回りブロック祭りを開催するなど、まるで独裁者のような行いではないか。いったい何が彼をこうしてしまったのだろうか。

そこで、そもそも平沢氏は自他を区別し、「メジャー」である世間と折り合いをつけた、達観した精神の持ち主だったのかという疑念が生じた。これは私の行き過ぎた理想化ではないのかと。

人の本音なんて分からないけど、自分なりにいろいろ考えてみてこうじゃないか?と思えるものが見つかった。だが、合っているかどうかも分からない推察を述べるのは失礼極まりない行為であるため書かないでおく。

私の思いついた考えが正しいかどうかは分からないが、あんなインチキな人を傷つける陰謀論にハマってしまうとはもはや社会を常に多数派とは違う見方をして倫理的問題を追及し続ける、慈愛、達観などの私が素晴らしいと思った精神を持っていないのではないか。

だが、改めて人は変わりゆくし、だからこそ崇拝はナンセンスということを認識できた。かつては私が尊敬、崇拝したくなるような思想を持ち、人々を魅了する音楽を作ったが今はそうではないと。音楽の方は変わりないと思いたいが、陰謀論的内容が多く含まれているようで何とも言えない。

ただ、私は今後も彼の音楽を好きであり続けるだろう。辛い時代に救われたのは事実で、今でもまだあの数多くの美しい音楽の魔力の虜だと思う。人は14歳の時に聞いた音楽に最も影響されるそうだが、本当にその通りで中学2年生のときからハマった彼の曲のおかげで自分の創作活動の幅が広がったと思う。

崇拝しすぎだったと反省しているが、平沢氏を信じ、崇めた経験、得たものは決して忘れないように生きたい。

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