今日も早朝なのか深夜なのかわからない4時に眠りにつく。眠るというより、気絶するといったほうが近いか。明日を望まない僕はじっと、じっと朝におびえ、夜に耐え、耐えかねて気を失った。
そして、気づけば僕は、見たことのない異国にいた。その世界は、神聖でだだっ広く、だがしかしなにか得体のしれないどす黒さ、不安定さを感じた。ここは果たしてどこなのだろう。夢か、幻か。それとも、もしかすると、死後の世界なのかもしれない。僕は眠っている間に息絶えて、ここはいわゆる冥界で閻魔様がいるのかもしれない。と、一人でぶつぶつつぶやきながら不気味で美しい神殿を歩いていると一人の黒服の男がこちらに歩み寄ってきた。
「ここは…死後の世界ではありませんよ。あなたは、確かに今ここに生きているのです」
「な、そんな。なら!ここはなんなんだ!これは、僕の夢か幻なのか…?」
いいや。そんなはずがあるものか。こんなに輪郭のはっきりした夢幻などみたことがない。これは確かに「現実」だ。ありえない。なんなんだ…ここは。
「驚いたでしょう。ここは、『深淵のプラザ』。死を願うほど現世に疲れた人々の憩いの場。そして、それ以上にここは汚く、黒く、暗い、深淵の掃き溜めです」
よく、わからなかった。でも、すべてが分からないわけではない。僕は正直、人生にひとかけらの希望も持っていない。誰も信用することなどできないし、誰も僕を助けない。だから、そう。「死にたい」のだ。だから、僕はここへ来れた。そういうことなのだろうか。だがしかし、信じがたい話だ。現実にこんなものがあるなんて。
「私は、こんな掃き溜めのしがない清掃人。よかったら、悩みを話していきませんか」
「え、清掃人?なのに、悩みを?」
不思議だ。そもそも、この美しい世界のどこを清掃するというのだろうか。たしかに掃除は必要だが、彼の服はすごく汚れていた。そんなに汚れているようには思えない。
「清掃人、という名前通りこの掃き溜めにうごめく言葉を綺麗にするのが私の仕事です。ですが、このプラザに訪れた方のお力になるのも仕事です。」
僕は、久しぶりに変わったことが起き、興味を持った。ただそれだけ。こんなことで悩みが解決されるなんて思ってもいないし、希死念慮はずっと根を張ったままだろうと思うが少し、悩みを話してみることにした―
―僕は、勉強もスポーツも人並みにできる。だが、秀でているところなど何一つとしてない。努力など、生まれてこの方したことのない堕落したダメ人間だ。それでいて、プライドばかり育ち、いつか大物になるのだという地震ばかり持ち続けてきた。今は、「逃げろ」という言葉を過信しまくった結果逃げに逃げ、逃亡し続け、ついに崖っぷちまでたどりついてしまった。もう、後戻りができない。そう感じた。だからって別の道を探す気力もない人間だ。今はただ、死ぬのが、死ぬのがなんだろう。怖い…。怖くて、死ぬ意味も生きる意味も分からなくて、とりあえず惰性で飯を食らい、明日を恐怖しながら社会の底辺をはいつくばっている。
こう、僕は話した。こんな話は誰にだってできなかった。プライドの高さからか、あまりの情けなさからなのか、迷惑をかけたくないからなのか、数少ない知り合いにも相談できなかった。そもそも、人並みの力を持っているくせに贅沢な悩みだと一蹴され、相手にすらされないのだ。そんな僕の話を彼はただ、うなづきながら隣できいていた。しばらくして、
「そうなんですね…。すみません、私は口下手なものであまりうまくは言えませんが。あなたは、十分深く悩めるほどの悩みをもっているとおもいますよ。それに、あなたはまだ揺らがない。豆腐の角に頭をぶつけない」
「はい?」
その直後、少し離れたところでガソリンのごとく、一人の人がスゥっと消えていった。まるで、まるでそれは、死…。死んだのか?僕と同じような死にたがりの人間が本当に何の前触れもなく突然すうっと。別の場所では強そうな男が豆腐の角に頭をぶつけて死んだ。みんな、死んでいく。あっけなく。スゥっと。あまりにも軽く、醜く、死んでいく。
「私は…この仕事を初めて長いですが未だに堪えます。あのような、心の豊かな賢人が思いつめて蒸発する姿は…そんなぐらいなら、ここで言葉を吐いて世界を汚してほしい。なんなら、こんなどす黒い場所に来なくてもいいぐらい現世で希望を見つけてほしい。私は、あなたにもそう思っています。」
この清掃人の言葉にはっとした。ああ、そうかそうなのか。こんなにも、絶望から逃げれずに自ら死ぬことは美しくないことなのか。死は救いにならないかもしれない。それは、僕にとってもこの『プラザ』にとっても清掃人にとっても。だがしかし、僕の人生は崖っぷちなのだ。今更、生きたいだなんて願えるだろうか。だが、僕にできることがあるとしたら、今はこれだけ。
「僕は、それでも人生を諦めたい…かもしれません。でも、あの人たちを見て僕はまだ早いとおもったのです。崖から飛び降りて転がり落ちて傷だらけでも生きれる、強さがほしいです。また、ここに来れるでしょうか?」
「ええ、きっと。あなたが望む限り。」
そう、彼は笑顔で言った。その瞬間何処からともなくくる光が僕を包み、気を失った。目覚めると、僕は自分の家にいた。僕は、泣いていた。天井を見つめ、泣いていた。一通り涙を流し終わり、時計を見ると案の定、昼だった。僕はなんだか、少し体が軽くなった気分だ。そして、突拍子もないことを思いついた。「豆腐の角に頭をぶつけたい」「賢人なのだとしたら鉄の賢人になり豆腐に耐えたい」と。そして僕は外に飛び出した。
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それ以降、僕は『深淵のプラザ』に行けたことはなかった。何度願っても、願っても。彼に一目会って礼を言いたい。だが、あそこは、死を望み絶望し現世に疲れなければいけない深淵のどす黒い掃き溜め。今、鉄の賢人になれたかどうかは分からないが、僕はすごくあの場には似合わなくなってしまった。すこし名残惜しい気もするが、きっと、それが正解だ。僕にとってもかれにとっても。顔を合わせないことが互いの一番の幸せだ。いい意味で!
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