ふと、北を見てみた。ニシンが空を泳いでいる。
そう、富山から北海道を超えて。
ニシンは春告魚とも言うらしい。
私は春を知らない。春はただ赤いことだけを知っていた。
そんなニシンが私に春を教えてくれるんだと思っている。
そんなものは妄想で、ニシンは私を訪れない。
だが、ニシンを捌く時のあの快感は忘れらなかった。
それが私とニシンの接点であった。
私は水槽から取り出したニシンを眺め、
バタバタと動く様子を見守りながらゆっくりと、
腹に刃を刺した。得も言われぬような快感であった。
絢爛たるその鱗を剥ぎ、透き通る眼球を抉った。
これは生温い液体。私の体も満たしているあの赤い液体。
脊椎動物の神秘だ。私とニシン。なんの接点もないはずだ。
しかし、運命論者はみた。私たちは赤という要素を共有している。
そんな生命の色である赤。無数の生命が生まれる春。
そんな春こそが赤である。そう、ニシンに教えられたのであった。
でも、私に春の赤を教えた代償に、ニシンは空へと消えた。
ニシンに天井という概念はなかった。私とは違った。
いや、違うだろう。私は腹を切っていない。ニシンは切った。
なら、私もこの赤の素晴らしさを伝えるために腹を切ろう。
春が何か分からなくていい。それでいいのだ。
だから私は、刃を手に取り溢れんばかりの心を込めた。
私とニシンの蜜月を知る者はもういない。ニシンとはもう会えない。
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